令和は新興宗教、ねずみ講にハマりやすい時代になる
令和事例の「常識の崩壊」と洗脳のリスクが高まる構造
経団連会長が「終身雇用の崩壊」を明示的に発言しました。これは、今後の就業環境が明らかに変わっていくことを示唆するインパクトのあるものです。
「終身雇用は限界」「日本の国際競争力が弱まっている」「大企業はオワコン」様々なことが今までも語られていましたが、それはいわば一部の「意識高い系」が再三言っており、実際はそんなことは予測にすぎない・・・といった楽観論が一般的でした。それが常識となる一つの転換点となったことのインパクトたるや。
「常識」というのはその内容の正誤は関係なく、どれだけその論説を常識化した人が多いかで固まってきます。ブログが儲かる、仮想通貨が儲かるといったものも、それが常識化してからでは金銭的な旨味は少なく、常識化していない事象を、早期参入していった人が成功しましたね。常識化すれば、みんな安心してそれをやりますからね。
常識は「それを常識化した人の多さ」で決まると書きましたが、現代日本人は、何かの思想を常識化するうえで、どれだけ自分の頭を使ってそれを判断しているでしょうか。大抵が「友達、親が言っていたから」「テレビでやっていたから」といった自分の頭を介在させない判断軸で物事を判断している人が多いですね。また、常識化は数の論理であり、「どれだけ自分の頭で考えたか」はカウントされないのです。だから、常識となっていることでも、それはマスコミが経済を回すために定めたものなのか、政治家が都合の良い法律を作りたかったからなのか、わからない構造になっています。それほど、今の日本人は物事を考えることはしません。
述べてきた通り、今の日本人は、非常にコントロールされやすい人種です。そして今後終身雇用の崩壊や景気悪化などで、企業で真面目に勤めていれば人生の正解が与えられる、といった時代は訪れません。
それはどういったことか。「人生の正解がわからない時代」であることです。
人生の正解がわからない時代は、今まで思考停止をしていた人も、考えなくてはならなります。自分の指針を設け、どういう姿勢で、どうやって生きていくのか。今までやってこなかったことは、とても苦労しますね。
そんなとき出る感情は、大きな「不安」です。「これでいいのか」「これから大丈夫か」といった感情が先走り、ふらふらと地に足がつかない感覚にもなるでしょう。
そしてその強い不安感情を解消すべく、何か正解を教えてくれる人に惹かれる精神状態になります。そこに攻め込んでくるのは、具体的には広義での「新興宗教」です。新興宗教といっても、スピリチュアル、自己啓発、マインドフルネスなど、素晴らしい論理体系に忍ばせて、洗脳を試みます。
新興宗教は、必ず全ての正解を持っている神のような、ピラミッドのボス(教祖)がいます。それを頂点にして、心理的な支配構造の関係がピラミッドの下へと繋がっているのです。ちなみに新興宗教や、ネットワークビジネスといわれるものも構造は同じです。自衛のために調べてみることをお勧めします。
「正解が見つからず不安。人生とは?正解は?」の状態は、正解を求めてふらふらしている状態です。そんな中、圧倒的な口のうまさと雰囲気づくりが上手い教祖が現れ、そこから先は気が付いたら(一生気が付かないかも)一文無しみたいなことも容易にあり得ますね。そんな人が増える時代になるでしょう。
どうやってリスクから自衛するか?
思考力と、知識をつけるしかありません。
①思考力
常にあらゆることに思考することが、騙されにくくなります。そして、「騙されない」と色んなことから閉じるのではなく、高い思考力を身に着けることによって、有益な情報とそうではない情報を判断することができるようになります。自分がどういった人生を歩んでいくのかといったことも、思考をできるようになることによって見つけやすくなります。正誤よくわからない情報があふれる現代社会で、必須のスキルになるでしょう。
②知識
社会で起きているあらゆることに対する知識です。豊富な知識体系を持つことで、相手の言うことのまた、マインドコントロールの仕組みを理解することで、相手に仕掛けられなくなります。
思考力と知識をつける方法「読書」
これは読書が一番です。小説以外の本をたくさん読みましょう。まずは読みやすい本、興味のある本で大丈夫です。そこからできるだけ多くの著者の本を読んでください。読んでいくうちに、読みながら考えられるようになってきます。「あ、あの人が言っていたこととここが同じで、ここは違う」「これは極端な論理だ」など、どんどん楽しくなっていきます。また、著者は偏らないほうがいいです。
また、常に凝り固まらず、意見をアップデートすることが大事です。それが柔軟性であり、成長を生みます。
さいごに
柔軟な思考ができる人が増えるといいんじゃないかな、と思っています。日本が、世界が自由で明るく、面白いところへもっとなってゆけ。
成長という名の洗脳
成長という名の洗脳
日々成長するというのは非常に重要だが、「成長」というものが他人の都合の中で定義されていないか、常に注意を払っていく必要がある。あくまでも自分のために成長するのだという絶対的な前提のもと、動いていくべきだ。
現代日本で見られる代表的な「成長の洗脳」はこんな感じ。
成長を謳う会社
成長を謳う会社「うちに入れば圧倒的に成長できるよ」⇒ほとんどの場合仕事がキツいだけ。苦痛に耐えるメンタルと体力は身につくかも。だが、基本的に社員を「金を稼ぐ棒人間」とみなすので、心身を壊す可能性がある。
社会的洗脳
会社はあからさまだが、婚姻制度(恋愛)など、他者比較を促すもののほとんどが洗脳だ(消費活動の推進)。民衆を狭い価値観で縛り、そこと常に比較させる。そうすることにより、圧倒的な行動推進材料「不安」を募らせ、消費活動へと促す。
つまるところ、煩悩(他者より劣っていないか、という不安)を拡大させ、無いものを見つけさせ、消費行動へ促すメカニズムが知らずうちにできてしまっているのだ。
消費させる側か消費する側のどちらかにいる
基本的に我々は消費させるか、消費するかのどちらかにいる。基本的には消費させる立場は勤務時間であり、消費させられる時間は勤務時間外だ。(例外もある) 何らかの形で煩悩を刺激させられ(社会的地位の高い会社である、かっこいい仕事である、など)入社をし消費させる立場にまわる。そして、消費を促していくのだ。
不要な競争
システムインテグレーション(SI)ベンダは顧客に様々なカスタマイズを行い、工数をかけ、膨大な費用を請求する。しかし各企業の要望など対して変わらないので、パッケージ商品で本来は十分事足りているのだ。それなのに発注側も無駄なお金を使い、ベンダは使わせる。だがこういった古き良き日本の流れは、今後変わっていくだろうとも考えられる。 本質的な正義とは 「大企業で働いて、立派な社内人だわ」親は子をこう誇るかもしれない。だが、本当に立派な社会人などどこにいるだろう。保険会社は不安を煽り、契約させるのが上手い人が価値の高い人材だ。 立派に働くのが偉い、結婚していて偉い、といった価値基準を一度壊すべきだ。人を傷つけない限り、すべての人は同じだけ偉くない。社会貢献の度合いは自己評価で決めていかないと、他者評価で間違った道を「俺は他の人より社会に貢献している」と思いこむ可能性がある。
これからの歩き方
「大企業信仰」などは時代遅れになりつつあり、本来の人間にあるべき柔軟な価値観が世に発信されつつある。これからは、いかに自分が定める価値基準を追求し、自分が心から他者の役に立っている実感を持てる取り組みをライフワークにしていけるかが大切になってくるだろう。そしてそれは自分にとって楽しいことであることが最重要だ。他者評価を捨てよう。競争をやめよう。楽しもう。
星野源に学ぶ「人に愛される容姿」に一瞬でなれる方法
こんにちは。
私は以前から星野源が好きです。
私は音楽業としての星野源がとても好きで、ライブにも2度足を運んでいます。
そして最近は「逃げ恥」がブームを巻き起こし、俳優業でも一気にスターになりました。
しかし。正直見た目だけではどこにでもいるような、素朴な印象を持つ方であります。スーパースターとして以前から名を馳せる木村拓哉や福山雅治、その他イケメン俳優などとは一線を画す存在です。
確かに音楽の才能は凄まじく、演技もうまく、トークも滅茶苦茶上手い。人気の「塩顔」だということや、頑張れば手の届きそうで、尚且つ清潔感漂う風貌。人気が出る要因は、様々ある。
しかし、星野源がスーパースターになった理由は、「マインド」なしには語れないと思う。
そしてそれは、私たちが誰でも参考にすることができるものになっている。
「地味な顔も、人に優しくして、心地よく感じるような笑顔だったりをしていれば、なんだか好きな顔になる」
⇒これは源さんがラジオの質問コーナーで実際に言っていたことである。ポイントは、現状自分が「イケメンではない」ということを自覚しているところからはじまることである。その中で人に対して愛を与えることをするなどして、周りの対応が変わっていくという点は、無理をしない形での前向きさが伺える。
あなたはどうだろうか。「私は美人だ」「私はイケメンだ」と本当に思っているならいいが、心の底では思っていないのに、無理に自己暗示していることはないだろうか。無理をしていると、自分の本来の姿を無視し、上と比べたり下と比べたりして、自分はどこか苦しさを感じるだけで、何も変わらない。
容姿は、その人のすべてが出ているものなのである。人を心地よくさせる見た目をしている人は、性格ものんびりしているとか、人に優しいとか、内面とリンクする部分を兼ね備えていることは、多々ある。
だったら、今のありのままの自分の外見から、いかに良くしていけるかを、「内面」から変えていくのが一番いい。「容姿は外見」という考えは、合っているように見えて、間違っている。容姿は、外見+内面の総合力だ。
外見が・・・といって悩むのではなく、総合力でそれぞれの花を咲かせていこうぜ。
流行り、人を救うファンタジーとは?「ディズニー」「ラ・ラ・ランド」「星野源」にみる共通点
窮屈で怒りが充満した満員電車。
SNSで人と比較し、劣らないように嫌われないように気を遣う・・・。
そんな中、人々が拠り所とするコンテンツとは?
現代は息苦しいが、便利な社会だ。
例えば満員電車の中では、スマホとイヤフォンがある。画面を凝視すればスマホゲームの世界に入ることができるし、目をつぶれば音楽の世界に没入することができる。
息苦しさが増している世の中で、救いのコンテンツが人々の逃げ場所となっている。
そんな中、流行るコンテンツの趣向としても、以下3点の傾向を持つことがヒットの大きな要素になることが多くなってきた。
それは
「①現実から離れていること」
「②没入しやすいこと」
「③気分を少しでも明るくさせてくれること」だ。
これは先に述べた満員電車の例からも明白である。
これらを満たすものが、気分を好転させる、「上質なファンタジー」となるのだ。この3点セットを「ファンタジー3か条」と命名しよう。(ネーミングがダサいね)
具体的なコンテンツで実例を出していこう。下に挙げるコンテンツは
すべて3か条を満たしている。
◆「東京ディズニーランド」 殿堂入りSランク
もはや言及する必要もない。3か条をハイレベルで満たした、ファンタジー界の最高峰だ。千葉の広大な土地を活かし、人々に現実を忘れさせる最高峰のファンタジー空間を提供する。来場者数はとどまることを知らず、様々なエンターテインメントがしのぎを削る中でも圧倒的な地位を築いている。
◆「ラ・ラ・ランド」
2017年、日本国内興行でも大ヒットしたミュージカル映画。
登場人物は色鮮やかな服を身にまとい、楽しく踊る。踊りながら宙に浮いたり、パラレルワールドが表現されていたり。とにかく素晴らしい映画。
◆「星野源」
コンテンツでもなく場所でもなく人である。勢いは留まることを知らない。アーティスト面で言うと、星野源の作る曲には上質なエンターテインメントの中に、「明るさ」が入っていることが特徴としてある。その明るさは前時代的な「アゲアゲ」ではなく、微笑んでゆらゆらと踊るような「ウキウキ感」をもたらせてくれるものだ。
3か条でいうと、③の特化型である。
俺も人に明るいファンタジーを与えられるような人間になれればよい。
社会人がオリンピックの感動を実生活に持ち込むと社畜化する
今回のリオデジャネイロオリンピック。日本勢はかなり良い成績を上げていますね。
トップアスリートの超人的なパフォーマンス。本番で見せる美しい演技の裏に、血の滲む努力が垣間見えるような感覚に、感動を覚えます。
ですが連日報道される、メダルを取ったことが「国のために偉いことをした」かのようなニュアンスには違和感を覚えます。
レスリングの吉田沙保里選手も、決勝で敗れて銀メダルとなった際に「申し訳ありませんでした」との言葉を発していて、胸が苦しくなりました。
競技スポーツは自分のために行うべきです。謝る必要がありません。
オリンピックの感動を社会に持ち込まないこと
さて、本題に入ります。
国民も結果を批評しないべきです。「十分よくやった!次がんばれ」といったコメントですらも、何もサポートしていない(テレビでの応援など何も役に立たない)、オリンピックでたまたま応援したような人が発する言葉としては横柄ともいえるでしょう。
金メダルだから偉い、メダルを取れなかったからダメだという価値観からは離れる必要があります。
それは私たちがオリンピックを見終わって実生活に戻ったとき、無意識に価値観として蓄積されてしまうからです。
何が蓄積されるのか。それは「競争」の価値観です。仕事で会社のため(国家、国)のためにライバル(他国選手、自国選手)に負けないように身を削る。これを良しとする社会は、健全ではありません。そのようなスパイラルに陥ってしまうと、周りが見えずに奉仕するようになってしまいます。
努力は偉い?社会における努力崇拝のデメリット
なぜか自分を律して、競争するように努力すると「偉い」といった印象を持たれるような都合のよい民衆になってしまっています。ですがあなたが努力をして得をするのは会社のトップ、社会の上位層(顔も知らない)1%だということにいい加減気が付きましょう。
社員が身を削って何とか存続できる会社など、社員にとっても、社会にとってもプラスにはならないのです。
社員にとっては、自分の身を削りながら収益性も将来性も良くない会社にとどまり続けることは、何もメリットがありません。
社会(日本の労働者)にとっても、ブラック企業が潰れたり人が集まらなかったりすることは大いにブラスなことです。人が集まらなければブラック企業が求人条件を上げなくては労働力が確保できなくなるし、そもそも潰れていれば騙されて入社してしまうこともありません。
「苦しい努力」をして周囲に褒められるのは嬉しいかもしれませんが、大きい意味での周囲への影響も考える必要があるということです。
スポーツは、芸術である
スポーツは、芸術だ。これは突拍子な意見ではありません。まず観る側が「芸術を楽しんでいる」という感覚を持つことが重要になってきます。100m走が観ている者の心を打ち、興奮させるのは、人間の限界ともいえるスピードで繰り広げられるレースが「美しい」からではないでしょうか。日本が勝ったとか、どこの国の選手が勝ったとか、国籍は関係ありません。人類最速を求めるその猛者達のその日までの準備、その人生が美しく輝いているのです。
芸術には勝敗はありません。それぞれの美しさがあります。泳ぎは遅くても、美しい泳ぎで観衆を感動させる選手もいます。それぞれが美しさを発揮していけばよいのです。
自戒の意味を込めて。競争はいらない。
「我慢しない」という事は世界を明るくする事。
「我慢しない」っていう考え方は極端ですが、あなたの人生をステキにします。
誤解してほしくないのは、「頑張らない」ってことではないということです。会社のために頑張る、家族のために頑張る。それは決して悪いことではありません。
ただ、自分がやっていること何にしろ「我慢しない」ということを意識すると、かなりのメリットがあります。「努力する」もあんまりよくない。
なぜなら、「我慢する」「努力する」というのは、自分を卑小なものにしてしまう危険性があるからです。「我慢しなくては認められない、愛されない」と無意識的に思い込んでしまう。まだ人生で「一切我慢していない日々」というのを経験したことがない。
ただ、人を肉体的、精神的に傷つけてしまう可能性がある場合は例外です。我慢しなくてはなりません。
ただ、迷惑をかけるとか、嫌われるとかはどうでもいいことなんです。かえって自分が自由になるうえではプラスになることかもしれません。
つまり「自分への愛」「他者への愛」を同時に考えることができれば、すべて大丈夫だということです。
惜しみなく自分を愛しましょう。また、惜しみなく地球全体の生物を愛しましょう。そうすることができれば、あなたの世界はあったかいものになっていきます。
星野源の名曲「くだらないの中に」からみる、今の日本人が選ぶべき幸せな生き方
私の大好きな曲がある。星野源「くだらないの中に」というタイトル。
東日本大震災で日本が混乱していた頃に発売されたこの曲は、有線放送から流れるこの曲に癒された人は多かったようです。
ライブ弾き語りバージョンがあったので、聴いてみてください。
いやあ、いい曲ですね~。
心にしみわたるとはこのことですね。
「髪の毛の匂いをかぎあってくさいなあってふざけあったり
くだらないの中に愛が 人は笑うように生きる」
一見変態カップルの歌のようですが笑、この文章に今の日本人が思い出すべき幸せのカタチが凝縮されていると思います。
「今よりもっとお金が欲しい」「立派な人にならなくてはいけない」「このままじゃ人工知能が発達する社会で生き残れない」「痩せなくてはいけない」
人々。特に今の日本人は「今ないもの」を求めます。それが私たち全員にある「自我」というもののメカニズムであるからですが、それはどんどんと加速してしまっていて、もやもやしている人が多い。
ですが、この歌では「今ある幸せ」はいつでも感じることができるということを教えてくれます。「くだらないことをしたりして笑いあう」これはいつでもできることです。恋人がいれば恋人と、友達と、家族と、一人でもできる。くだらないことをして、くすっと笑う。そんな瞬間には、「憎しみ、不満、不安」ではなく「愛」が広がっているのではないでしょうか。
人生はくだらなくて、楽しくて、自由で、美しくて、愛でいっぱいだ。