価値観の再生

自由と愛。平成生まれ

「厳しさ」とやめてブラック社会を終わりにしよう

こんにちは、heiです。今日は全ての人が自らの心に問いかけてほしい、「厳しさ」について考えてみたいと思います。

 

満員電車でマナーの悪さを怒鳴り散らしたり、飲食店でも店員の接客に文句をつけたり。そんな感じで他人に厳しさを振りかざす人って結構みかけますよね。

でも、それが当たり前の社会になっています。それについて、飲食店のスタッフを例として一度考えてみたいと思います。

 

本当に当たり前?

日本の販売業、飲食業は、かなり接客水準が高いと、世界中を旅した結果感じます。コンビニの接客に「ホスピタリティ」を感じることがあるなんて、世界中で日本だけです。

だからこそ客が調子に乗っちゃっています。バイト店員に世界最高レベルの水準を求めてしまったりします。挙句の果てには大したことのない内容で説教したりクレームしたりしちゃいます。

 

態度の悪い店員は「悪」なのか

そもそも、態度が悪い飲食店のスタッフは、本当に「悪」なんでしょうか。

そのお店のオーナーにとっては悪でしょう。売上が下がる可能性があるからです。客にとっても不快感を覚えることがあるので、客にとっても「悪」かもしれません。

 

しかしライバル店にとってはもちろん「善」です。そして大きく見ると、日本の飲食業に携わる全ての人に「善」です。態度が悪い飲食店のスタッフが現れることによって日本の接客水準が下がれば、相対的にちゃんとした水準の店員の価値があがるからです。

 

ブラック企業が蔓延するのも、そこでみんなが我慢するからです。みんながブラック企業を拒否すれば、ブラック企業は従業員を集められなくなります。

そして労働環境を改善するか、ブラックでなければ雇用を生み出せない収益構造の会社はなくなるべきなのかもしれません。それにより過多な競争が緩和され、経済が上向くかもしれません。

 

「厳しさ」を常に持った人は組織である程度成功してしまう

自分にも厳しく、それを他者にも求める。一般的にそういう人は例えば会社組織の中で、一定の成功を得ます。「会社組織で上に上がること」を絶対的な善として思考停止してしまっている人はまだ多いので、厳しさを常に持ちながら成功体験を得た人は、その性質を強めていきます。

そして部下を指導する立場になり、部下にも厳しさを持って働くことを「世界の真理」といったテンションで求めることになります。

 ここで厄介なところは、それに反論することはできないところにあります。例えば会社組織でそのような人が上司にいた場合、従うか評価を落とされるしかありません。

 

「自分に優しく、他人に厳しい人」が厳しさを求めてきた場合は論外なので、「お前がまずやって見せろよ」と反論するか、その組織はあきらめましょう。

 

でも、「厳しさ」を持って生きるのは苦しい

僕は常に自分と他者が「幸福」に生きることを考えています。そういった観点を持つと、「厳しさ」を持って社会的に成功したとしても、それはある意味では失敗になります。厳しい人は、顔がこわばっていて、内に怒りを秘めていて、周囲も緊張してしまうことが多いからです。いくら立派と言われても、そんな人にはなりたくないと思います。

 

自分にも他人にも優しくする生き方が、日本人に求められている

ちょっと話がそれましたが、要は「他人に優しくして、自分にも優しくしよう。そうすれば幸福感をより持って生きれるよ」ということです。自分か他人か、順番はどっちでもいいです。自分に寛容になれれば、他者にも寛容になることは容易です。

なんども言いますが論外なのは、「自分に甘く、他人に厳しく」ですけどね。笑