価値観の再生

自由と愛。平成生まれ

成長という名の洗脳

成長という名の洗脳

日々成長するというのは非常に重要だが、「成長」というものが他人の都合の中で定義されていないか、常に注意を払っていく必要がある。あくまでも自分のために成長するのだという絶対的な前提のもと、動いていくべきだ。

現代日本で見られる代表的な「成長の洗脳」はこんな感じ。

 

成長を謳う会社

成長を謳う会社「うちに入れば圧倒的に成長できるよ」⇒ほとんどの場合仕事がキツいだけ。苦痛に耐えるメンタルと体力は身につくかも。だが、基本的に社員を「金を稼ぐ棒人間」とみなすので、心身を壊す可能性がある。

 

社会的洗脳

会社はあからさまだが、婚姻制度(恋愛)など、他者比較を促すもののほとんどが洗脳だ(消費活動の推進)。民衆を狭い価値観で縛り、そこと常に比較させる。そうすることにより、圧倒的な行動推進材料「不安」を募らせ、消費活動へと促す。

 

つまるところ、煩悩(他者より劣っていないか、という不安)を拡大させ、無いものを見つけさせ、消費行動へ促すメカニズムが知らずうちにできてしまっているのだ。

 

消費させる側か消費する側のどちらかにいる

基本的に我々は消費させるか、消費するかのどちらかにいる。基本的には消費させる立場は勤務時間であり、消費させられる時間は勤務時間外だ。(例外もある) 何らかの形で煩悩を刺激させられ(社会的地位の高い会社である、かっこいい仕事である、など)入社をし消費させる立場にまわる。そして、消費を促していくのだ。

 

不要な競争

システムインテグレーション(SI)ベンダは顧客に様々なカスタマイズを行い、工数をかけ、膨大な費用を請求する。しかし各企業の要望など対して変わらないので、パッケージ商品で本来は十分事足りているのだ。それなのに発注側も無駄なお金を使い、ベンダは使わせる。だがこういった古き良き日本の流れは、今後変わっていくだろうとも考えられる。 本質的な正義とは 「大企業で働いて、立派な社内人だわ」親は子をこう誇るかもしれない。だが、本当に立派な社会人などどこにいるだろう。保険会社は不安を煽り、契約させるのが上手い人が価値の高い人材だ。 立派に働くのが偉い、結婚していて偉い、といった価値基準を一度壊すべきだ。人を傷つけない限り、すべての人は同じだけ偉くない。社会貢献の度合いは自己評価で決めていかないと、他者評価で間違った道を「俺は他の人より社会に貢献している」と思いこむ可能性がある。

 

これからの歩き方

「大企業信仰」などは時代遅れになりつつあり、本来の人間にあるべき柔軟な価値観が世に発信されつつある。これからは、いかに自分が定める価値基準を追求し、自分が心から他者の役に立っている実感を持てる取り組みをライフワークにしていけるかが大切になってくるだろう。そしてそれは自分にとって楽しいことであることが最重要だ。他者評価を捨てよう。競争をやめよう。楽しもう。